ブログ名はいつか決めます

大切ななにかを失いながら、しょうもないものを生み出す。

この世界の片隅に

7月17日、月曜日。

月曜日であるがしかし、僕らニートも大手を振って通りを歩ける、素晴らしき赤い日である。

 

去年の今頃は、日曜日も祝日も漆黒に覆い潰されて、納品まであと何日以外の暦の感覚は崩壊していた記憶しかない。倒れた日が半休だ、ちくしょう。

 

そんなことはどうでもよく。少し前に、大学からの友人から

 

「『この世界の片隅に』を見に行かないか」

 

と連絡が入っていた。同じくニート仲間である。しかし来月に就職を控えている分、向こうの方が格上だ。ニート2人の映画鑑賞なんていつでもいいかと思いきや、格上ニートは水曜から新潟で2週間の自動車免許合宿だという。ニート極まってんな。

 

そんなわけで割と日取りは限られている。もっというと、時間帯も1日に1本の上映でかなり絞られる。そもそもBDの発売しているこの映画が、未だに上映しているのかとお思いかもしれないが、

 

映っているのさ! テアトル新宿ならな!

 

かくして、AM9:50スタートというとても若者が映画を見るとは思えない時間に、僕らは映画館に足を運んだのである。

 

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昼夜逆転のままなので、リポDを持って。

 

 

 

そもそもだ。去年散々騒がれていた映画だ。

当然アニメ業界人なら見ていて当然、な気はする。が、お恥ずかしながら機を逸し続けもう円盤レンタル始まったらでいいやとか思っていた作品の1つであったのだけれど。

 

それなりには楽しみにしていたもので、いざ見るときには鮮度ぴちぴちを味わおうと、できる限り一切の情報を遮断し続けていた。結果、画面に戦艦大和が映り込むまで、終戦直前を描いた物語だと気づかなかったレベルである。

 

(ちょいちょいテロップで「20年」とか出てくるけど1920年てことか? じゃあ戦争が終わる頃には可愛らしいすずさんもいいお歳か)

 

あぁ恥ずかしい。というか日本史至上主義者に見つかったら命が危ない。

 

勿論、戦時の日常を描いた作品であることくらいは知っていた。だからこそのリポDだ。寝不足で見るには危険と判断したからの元気剤だ。おまけに2時間強。欠伸を噛み殺しながら完走できれば御の字。そう思っていた。

 

あぁ恥ずかしい。杞憂この上なかった。

 

無駄に前置いたけれど、残念ながら中身のあるレビューや批評を書くようなブログでは、ない!

 

というかそんなもの書けない!

 

アニメちょっと作った近い過去があろうが、作画や演出面からアニメを語る能力がない! というかそもそもその気がない!

 

というか散々語られている作品のはずなので、今更僕ごときに何か実りのあるものが書けるはずもない。

なのでぽつぽつと、感じたことだけ。

 

最初に引き込まれたのは、冒頭で船を降りたすずが、風呂敷を背負い直すシーン。なんだ、この芝居は。とりあえずアニメで見かけたことはない。ちょっと調べただけで、まんまここに関する記事が、やっぱり存在していた。おもしろい内容なので、もしこんなところに迷い込んできた人がいたなら、こっちを読んでみて欲しい。

 

https://magazine.manba.co.jp/2017/05/12/hosoma-konosekai17/

 

確か次に特に惹かれたのが、スイカを届けに行く場面の、大潮の海の背景だったように思う。なんでかはよくわからないので、またそのうちにBDを見返したら理由までわかるのだろうか。

 

退屈とは。

 

そんなものを一切感じるスペースがない、カットの密度の高さである。

 

序盤でごりごり引き込まれ、1つ1つの情報を追いつかない速度で拾っているうちに、エンドロールが流れていた。本当に、なんだったんだあれ。

 

後からちょっと気になったのは、俯瞰で爆弾が落ちてゆくカット、あれだけ3DCGを使っていたんじゃないかとちょっと調べたら、そんなことはないらしく。手描きセルかあれ。こだわりの域だなもはや。

 

CGといえば、それこそ戦艦大和。本作だと、これも手描きだ。ほんともう、こだわりの域でしかない。だからこそあの映画のなかで、大和が呼吸をしていた。生きていた。

 

生きていた、ってなんだろ。いや、実際そう感じてしまったから仕方ないのだけど。

 

前評判で、リアルな描写とかが注目されているのは聞いていた。ただなんか、個人的にはリアルというより、ニュアンス的には生きている、という感覚を強く受けた。

 

例えばそれは、全編を通して、挟まれる小さな笑いからだったり。話が進み戦況が悪化してゆくにつれて、どうしたって雰囲気はシリアスで重くなってゆく。それでも、小ネタとして笑いが挟まれる。登場人物が笑う。観客も笑う。多分生きてるって、そういうもんだ。例え僕が明日から借金10億を背負ってどん底の生活を始めたとしても、道端の看板に「おちんちん」と書いてあったらどうしようもなく吹き出すだろうさ。

 

例えばそれは、無残に破壊されてゆく背景だったり。いやはや、美術も実に綺麗で繊細だった。草花どころか、土や水まで生きているようだ。それが、空襲で吹き飛んでゆく。「生きている」が理不尽に「生きていた」に変わって、けれどその跡に、生を感じてしまう。

 

例えばそれは、セルの動きや声の芝居だったり。 のんさんの演技なんてもはや言うまでもなく。人以外も、煙とかやたらと膨らんだご飯とか、丁寧すぎて目眩がする。

 

確かに、リアルなんだろう。けれど、戦争の時代を知らない僕らにとって、正直遠く知らない時代や場所なんて、フィクションよりフィクションだ。異世界の方がまだわかりやすい、指輪物語がだいぶ記号化してくれてるかんな!

 

ただそれは、確かに当時現実だったのだろう。戦争の直接の当事者でない世代が、その時代を生きてきた人の声を直接聞きながらつくりだすことが出来る時期も、もう終わりが見えている。

 

そんな今、この世界の片隅でこんなアニメが生まれたことは世間的にも大きな意味を持って当然だと思うし、個人的にもアニメの今後にまだまだ期待を持ってしまった。

 

いやー、劇場で見れてよーかった!